ちくちく編むごもんちん

編み物の記録とその他雑感

誰かの幸せに、心がざわついたときは

久々に知人から連絡があったとき、だいたいが結婚報告(たまに怪しいビジネスのお誘い)のお年頃になってしまいました。

知り合いの幸福な報せは喜ばしいことのなのに、素直に喜べない自分がいます。
結婚などの一般的な幸せとは遠い場所が自分の現在地だからです。

 

人の幸せを喜べない、身も心も貧しい人間になってしまったのかと自己嫌悪に陥りそうになったとき、考えるようにしていることがあります。
"幸せな人が多い方が自分も幸せになれる可能性が高くなる"ということです。

幸せな人が多いと、心に余裕を持って行動できる人が多くなります。
他者に対して思い遣りのある行動をとる人が増えて、めぐりめぐって、自分に幸せの"おこぼれ"がまわってくる確率が上がると考えています。
他人の幸せが自分の幸せに繋がると思ったら、眩しすぎる他人の幸せも、喜べる気持ちになります。
"風が吹けば桶屋が儲かる"のように、"幸福な人多ければ幸せの種が増える"
ちょっと大袈裟な考えかもしれませんが、そうだと、そうであってほしいと願っています。

 

こんなことを考えていると、自分の損得ばかり気にして、やっぱり私は心が貧しいのね…なんて思ってしまうこともあります。
そんなときは、想像してみます。

結婚して幸せそうにパートナーと生活を共にする知人、この上なく幸せだと笑っている他人を。
幸せなそうな笑顔が、一変して、不幸せそうな顔になったら…。

やっぱり幸せな顔を想像する方が心地が良い。
他人の不幸よりも幸せを願うことができる間は、まだ自分は大丈夫だと思えて、心が楽になります。

 

もし誰かの幸せを願うことが出来なくなって、不幸を望むようになってしまったら…。
いつも行ってる精神科の先生に相談するわ。

ブラックマヨネーズさんの漫才のようになってしまった。
『皮膚科』から『精神科』に変わると、笑えなくなってしまうのが、少し悲しいです。