ちくちく編むごもんちん

編み物の記録とその他雑感

編み物のおとも

 

「編み物をしているとき、何をしていますか?」

 

こういう尋ね方をすると語弊があるかもしれませんが、編み物をしている最中に、テレビを見るなど、"ながら編み"をする方も多いと思います。

編んでいるとき、目線はだいたい手元にありますが、頭と体で編み方を覚えていれば、"ながら編み"ができるようになります。

同じ編み方の繰り返しなど、単調なものを編んでいると、慣れ(?)が出てしまって、集中力が切れやすくなるので、"ながら編み"をした方が、私の場合は集中力が続きます。

(私の修行が足りないせいかもしれませんが…)

真っ直ぐな道を運転しているとき、居眠りする人が増えてしまうのと同じ現象だと思っています。

 

テレビを見ながら編むと、重要な場面を見逃してしまうことがよくあります。
特に、海外ドラマを字幕で見ていると、誰が何をしたかを見落として、話の展開が全く理解できなくなります。

そのせいか、ラジオやポッドキャストなど、音声コンテンツを聴きながら編むのが心地よいです。

 

ラジオを聴いていると、
「編み物をしながらラジオを聴いています」
というお便りを耳にすることがあります。
基本、お家で、ひとりぼっちで編み物をしているので、それだけでちょっと嬉しい気持ちになります。
この地球上のどこかで、自分と同じように編み物をしている人がいるんだなと。

 

ただ、誰かと一緒にいると疲れてしまう性分なので、わざわざ誰かと一緒に編み物をしたいとは思いません。
ひとりが好きで、編み物をしている最中の孤独が愛おしい。
ラジオを通して、どこかの誰かと間接的に繋がっているのが、今の自分にとって、ベストな状態です。

 

私の編み物のおともは、テレビやラジオだと思っていましたが、孤独のようです。

 

こんなふうに思ってはいますが、この先、誰かと一緒に編みたくなる日が来るかもしれません。
そのときは、どなたかお手柔らかに、よろしくお願いいたします。

 

編んだもの 半円形のストール

 

半円形のストールを編みました。
見様見真似で編んだので、今回の編み方で良かったのか、自信はありません…。

 

玉も輪も付いていない、普通の棒針で編んでいたため、目の数が多くなるにしたがって、編みづらくなったり、目を落としたりと不便でした。
ちょうどいい輪針が無かったので、余り糸とマスキングテープを使って、即席輪針(?)を作って編みました。
輪針を準備しておくべきだったとは思いますが、手元にある物を使って、即席で間に合わせるのも楽しかったです。

 

透かし模様の配置を、えいやあで決めて編んでしまいました。
しっくりくる配置を考える力が欲しいです。

 

毛糸も元気もないけれど

 

毛糸を買いに出掛けたかったけれど、体調が優れず、家から出られない日がありました。

「そういう日もあるさ」

と、家でゆっくり休んで寝ていればいいのに、その日は、どうにも調子が悪くて。

「買い物くらい、元気な人なら簡単に行けるのに」

「どうしてみんなが普通にできることができないんだろう」

と負の思考のループから抜け出せなくなってしまって、心と身体がしんどくなってしまいました。

 

寝てやり過ごそうとしても、眠りにつくこともできず、身体中をしんどさに支配されてしまい、悔しいやら惨めやらで、情けないのですが、泣いてしまいました。
暗い部屋でしくしく泣いていたら、同居している猫が近寄ってきて、ただ見つめてきました。
慰めるように身体をすり寄せてくるわけでもなく、何をするでもなく、20センチメートルくらい距離のあるところから、座ったまま、こちらをじーっと眺めてきました。

心配している様子もなく、

「無様に泣いてやがるな、こいつ」

とでも言いたげな仏頂面をしていました。

普段はとてもやんちゃで、遊んでと催促してニャーニャー泣いてきたり、いたずらのつもりか不意にタックルしてきたりする猫の仏頂面。

ぶすっとしたその顔を見ていたら、なんだか笑えてきて。
しんどさもいつの間にかどこかへ行ってしまいました。
思い返してみると、彼がうちの子になったときも、私は泣いていました。

 

母の友人の家で必死に鳴いていた彼は、ノミだらけの弱った小さな体で、うちに来ました。
猫好きの母は、すぐ彼を動物病院に連れていき、甲斐甲斐しく世話をしました。
言葉にはしなかったけれど、拾ったその時から、母はうちで飼うのを決めていたようでした。

 

私は猫を飼うことを否定的に考えていました。
当時、今より体調が悪く、寝ている時間が多かったので、猫の世話をできる気がしなかったのです。

猫を飼うことが決まった日、体調の悪さと猫を飼うことへの不安感で、寝込んでしまいました。
自分のあまりのふがいなさに、布団の中で泣いてしまった。
そんなとき、彼は布団に近寄ってきて、私をじーっと見つめてきました。
毛布の上に乗るでもなく、布団の中に入ってくるでもなく、布団の横に居座りました。
撫でてほしいのかと思って、右手を差し出すと、ガブッと噛まれてしまいました。
弱った身体を労るでもなく、遠慮無く噛むことから、この猫は私に面倒を見てもらう気がないのだと察して。
彼の飼い主は母で、私はただの同居人ということにして、たまにでもお世話の手伝いができれば御の字だと思うことにしました。

 

拾われてから、日に日に元気になる姿や物怖じせずに家の中を遊び回る姿を見て、何度元気をもらったことか。
撫でるとゴロゴロと鳴いて、撫ですぎると容赦なく噛んでくる彼がとても愛おしくて、

「この子に会うために、自分は生まれてきたのかもしれない」

なんてことを本気で考えています。
(飼うのを反対していたくせに、なんて野郎だ)

 

猫のぬくもりが近くにあることで、こんなに救われる日がくるなんて、想像もしていませんでした。

買いたかった毛糸は手元にないし、出掛ける元気もないけれど、身体を休める家があって、近くには猫のぬくもりもある。

これからも泣いてしまう日が来るかもしれないけれど、そのときは、きっと彼の仏頂面を思い出すことでしょう。

 

編んだもの 透かし模様のマフラー

 

余っていた太めの糸を使って、マフラーを編んでみました。
余り糸同士を組み合わせて、色が合うか自信がありませんでしたが、思いの外、良く仕上がりました。
薄紫色と藍色、こんな組み合わせのデザートがあったら食べてみたい。

 

キツく編みすぎてカチカチになったり、両端が丸くなってしまったりと、使い心地に支障が出そうなくらい、不恰好なものを編んでしまいました。
半分くらい編んだところで、ほどいて編み直しに。

丸くなるを防ぐために、両端にガーター編みを入れていたけれど、丸まってしまいました。
太い糸だと、丸くなる部分も大きくてびっくり。
裏編みを加えて編み直しました。

 

最後、中央をはぐのが上手くできず、他の糸で何度か練習してからチャレンジして、なんとか編み終えることができました。

はいだり拾ったりが、もっと上手く出来るようになりたいです。

 

※下記の本で紹介されている編み図を参考にして編みました

日本ヴォーグ社『増補改訂版 透かし模様280 棒針編みのレース模様280とすぐ編める小物11点』

 

ジーンズをもう1度

 

もう放送は終わってしまいましたが、BS11で放送されていた
アガサ・クリスティーの謎解きゲーム』
というフランスのドラマを見るのが楽しみでした。

 

アガサ・クリスティの作品を原案に、舞台をフランスに変えて、色々と脚色を加えた、とてもドラマチックな作品でした。

内容はもちろん、登場人物が魅力的につくられていて、見ていて飽きませんでした。
特に新聞記者の女性がとってもステキで…。

 

特ダネを書くためにやりすぎな行動を取るし、ちょっと品のないところがあるけれど、辛い現実にめげずに懸命に生きている姿に心を惹かれました。
ジーンズや革ジャンを着こなしたり、スクーターを乗り回したりするところも、これまたカッコいい。

 


私は、今も昔もファッションに疎くて、制服があった学生時代なんかは、特に着るものに執着がありませんでした。
流行なんて気にせず、持っている服をずっと着ていました。
そうなると、オシャレ好きの多感な女の子からしたら、私がダサく感じるのは当然で。
中学生のとき、同級生の女の子に、着ていた古いジーンズを、「ダサッ」と嘲笑されました。

自分がダサいことに自覚はあったけれど、少なからずショックを受けてしまって、それからジーンズを着るのを辞めました。
持っていたものを捨ててから、ジーンズを買わない、着ない日々を過ごしていました。
そんな折、ドラマで女優さんがジーンズをステキに着こなしているのを見て、ダサいのはジーンズではなくて、自分なんだと改めて分かりました。
また、ダサいと言われたくらいで、やめる自分自身が1番ダサいということも。

 


ドラマを見るたびに、ジーンズを履きたい気持ちがどんどん膨らんでいったので、思いきって、ジーンズを1本買ってみました。

買ったものを履いてみると、ジーンズの履き心地の良さに感動すると同時に、十数年ぶりに履けた感動で、なんだか泣いてしまいそうになりました。
それから、1本のジーンズを履き回す日々を過ごしています。
ジーンズ生活はすこぶる好調です。
もう手放せそうにありません。

 

たまたま見たドラマをきっかけに、またジーンズを履けるようになるなんて、思いもしませんでした。
いろんなきっかけが、いろんなところに転がっているんですね。

いろんなきっかけを見落としがちな毎日ですが、目を凝らして耳を澄まして、ゆっくりでもいいから、見つけていきたいです。

 

編んだもの キャンドルライトのストール

 

 

編みたかった模様のひとつを、編んでみました。


ベースがメリヤス編みなので、端が丸くならないように、左右の端に右上1目交差を配置してみました。
けれど、編んでいくうちに、ちょっぴり丸まってしまいました。残念。
(右上1目交差だけでは、端の丸くなるの防止できないので、他の編み方も入れたら良かった)

 

また、横幅が短めで、
「この幅でいいのかい?」
と編んでいる途中、脳内で自問自答してしまいました。
「この短さでは、ストールとして実用性がないんじゃあないかい?」
なんて正論も脳内に響きました。
(脳内の声がやけに癖のある江戸っ子口調なのは、たぶん落語の影響です)


丸まった端も、短い横幅も、普通に考えれば欠点かもしれませんが、見ていてなんだか可愛く思えたので、ご愛嬌ということで、このままにしておきます。

 

 

 


※下記の本で紹介されている編み図を参考に編みました


グラフィック社  エリザベス・ロヴィック著
『一年中楽しめる透かし編みの模様82 繊細で軽やかなショールやソックスも作れるシェットランドレース模様パターン集』

時代に逆行して手編みする

 

今年に入ってから、ストールばかり編んでいます。

シェットランドレースのような、美しい透かし模様を編んでみたいという淡い希望があるので、一種の修行(?)として、ひたすらストールを編む日々です。

まだ簡単な模様や構成のものしか編めませんが、いつか理想の1枚を編むことができれば、こんなに嬉しいことはありません。

 

シェットランドレースのことを紹介する映像がYouTubeにあって、何度も見ています。
コメント欄にも、編み物にまつわるのエピソードがたくさん書き込まれていて、とても面白いです。

 

https://youtu.be/0JX-Le5WDhs?si=gmVmcHj4_rE_W0z1

 

年配のご婦人方が、とんでもない早さでレースを編んでいる姿を見ては、勇気をもらっています。

技術を習得するまで、とてつもない時間を費やしたんだろうと、その長い年月を想像して、尊敬すると同時に、途方に暮れます。

仕事として編み物をしていた先人たちの技術に、一朝一夕で追い付くことは不可能だと分かっていますが、

「いつか自分もあんなふうに編めるようになれたらいいな」

と、これまた淡い希望を抱いています。

編み物をすることが、歳をとること、生き抜くことを前向きに捉えるきっかけになりました。

 

動画の中で、シェットランドレースの価値を言い表すのに"金"が使われているのを見て、石炭が"黒いダイヤモンド"と例えられたことを思い出しました。
石炭を日常的に使ったことがないので、石炭といえば、映画で見る貧しい炭鉱のイメージしかありません。


時代の流れに伴って、シェットランドレースも石炭も、昔ほどの価値は無くなってしまいました。

時代によって物の価値は変動するし、必要とされる人の技能も変わっていきます。
今の世の中、機械編みの既製品であふれているのに、ちくちく手編みをするなんて、不毛なことかもしれません。
編み物に限らず、色々と時代の流れについていけていない自覚もあって、たまに胸が苦しくなることもあります。
ああ、後ろ向きなことばかり考える自分の脳ミソが憎い…。

 

世間的には価値も、意味も、需要も、何もかも低いかもしれませんが、編むことが好きだし、いろんなものを編んでみたい。
それに、編み続けていたら、自分が編んだものをいいって言ってくれる人がいるんじゃないかと期待しています。
(いなくても編むけれど)

 

効率やコスパ重視の現代とは逆行していますが、いつまでも編み物を続けることができたら幸せです。